何もない所から36

2007年の年が明け、24才になっていた。

僕はDSさんとBOM君の上京に備え、仕事と住む場所を準備する事にした。
心当たりがあった。

僕が働いている会社のカギイシさんなら受け入れてくれるはずと。

社宅の空きが2部屋ある事も知っていた。

仙台で社宅の管理をしていた経験が役にたったのかもしれない。

そして、ここから年度末繁忙期に差し掛かり猫の手も借りたい事を知っていた。

仙台で面接採用業務をしていた経験が役にたったのかもしれない。

カギイシさんは快く受け入れてくれた。


翌週、早速DSさんとBOM君が上京して来た。

 

東北新幹線上野駅で2人を迎え、新幹線改札の手前で立ち止まりポケットに入れたであろう片道切符を探し、見つけたのか少し笑いながら改札を抜けて来た。


ここからだ。

 

同じラップグループのメンバーで一緒に働きながら東京で音楽が出来るなんて最高じゃないか。

 

その時は全てうまくいくと思っていたが、現実はそう甘くはなかった。

じょじょに2人とも仕事や東京の生活に慣れ始めたが、ライブは相変わらず地元福島が多かった。

せっかく2人を東京に呼んだのに自分の不甲斐無さや申し訳ない気持ちが日に日に増した。

たまに入る東京のライブも何か空を切る様な、何だか手応えがなかった。


仕事の昼休み3人で音楽のミーティングをした。
仕事終わりにDSさんの部屋に集まり夜遅くまで音楽のミーティングをした。

試行錯誤しながら東京に来たDMC3人だけの曲も作ったりした。

 

気分転換に3人で熱海までドライブした時も結局は音楽の話で、カーステレオから流す音楽の選択肢も日本語ラップしかなかった。

たくさんのパンチラインがDSさんの軽自動車にネオンと共に反射した。

 

自分に対する自信や他人に対する期待が過剰であればあるほど、思い通りにいかない時に苦しむと思う。

 

『肉を切らせて骨を断つ。』

そうでも、思わなければやっていけなかった。

 

『もしかして、僕ら通用しないかもしれない。』

何度も脳裏をよぎった。

 

『こんなはずじゃなかった』

何度も何度も脳裏をよぎった。


ライブ後にお客さんに『随分、辛そうにライブするんだね』と言われ、いつの間にか自分の中にあった【音楽を楽しむ】という気持ちが無くなっていた事に気付いた。

演者側で音楽を楽しんで続けている人ってどれくらいいるのか考える様になった。

振り返った思い出だけは【楽しかった】と思えるのかもしれない。

高校の時の部活もそうだ。

当時は全然楽しくなんかなかった。

でも、今はそれも【楽しかった】と思える。

 

 

つづく