何もない所から31

2006年の年が明けた。

久しぶりにKUTTSさんのお店に行ったら、KUTTSさんが居なかった。

代わりに居た店員さんはYASさんという仙台市内で活動しているラッパーだった。

 

「今日はKUTTSさん居ないんですか?」

 

YASさん

「あぁ、君よく来るオーバーサイズの服買ってる福島のラッパー?KUTTSさんは仕事辞めて地元に帰ったって聞いてるよ」

 

それを聞いて落ち込んだ。
いつかKUTTSさんに自分のライブを観て欲しかったからだ。

帰り道はオーバーサイズのズボンを引きずりながら一杯ひっかけて帰った。

 

その時にデモCDを渡したYASさんがその後にライブオファーと客演オファーまでくれた。

YASさんに仙台のラッパー・オーガナイザーをたくさん紹介していただき、仙台でのライブもじょじょに増えていった。

そして、ここから本格的にDMCとしての活動も開始していく。

メンバーそれぞれが福島市、いわき市、仙台市と住んでいる場所が離れているため、フルメンバーでのライブはなかなか難しいが、可能な限り出れるメンバーだけでライブに出ていく活動方針となり、代表曲となる楽曲の制作も同時に開始した。

 

トラックはDSさんとショウゴ君が作れたので取りあえず2人に任せた。

 

数日後、夜中に突然DSさんが社宅にトラックを焼いたCDを持って現れた。

福島市から仙台市まで車で来たのだ。

 

DSさん

「すげぇ良い感じのトラック出来たから聴いて欲しくて!」

 

この当時、僕も含めデータをパソコンを通じメールでやり取りする方法を知らなかったので、トラック等は全てCDに焼いて郵送か直接届ける方法をとっていた。

 

トラックをDSさんの車のカーステレオで聴きながら夜中の仙台市内をドライブした。

 

DSさん

「狐火はこんな都会に住んでんのすげぇな!」

「ちなみに、DSさんは鈴木あみの楽曲で何が好きですか?」

DSさん

「俺はwhite keyだね!狐火は?」

 

「僕はlove the islandですね!というか、このトラックめちゃくちゃ良いじゃないですか!これで代表曲作りましょう!」

 

DSさん

「マジで!良かった!夜中に仙台まで来たかいがあった!」

そのトラックで『DMC』という代表曲を作った。
MC5人のマイクリレーを軸とした楽曲だ。

レコーディングは福島市のDSさんの自宅のレコーディングブースで行われた。

みんなですごい曲が出来たと盛り上がり、ライブで披露するため練習して、これなら絶対にどこでも通用すると励まし合った。



つづく