2006年の年が明けた。
久しぶりにKUTTSさんのお店に行ったら、KUTTSさんが居なかった。
代わりに居た店員さんはYASさんという仙台市内で活動しているラッパーだった。
僕
「今日はKUTTSさん居ないんですか?」
YASさん
「あぁ、君よく来るオーバーサイズの服買ってる福島のラッパー?KUTTSさんは仕事辞めて地元に帰ったって聞いてるよ」
それを聞いて落ち込んだ。
いつかKUTTSさんに自分のライブを観て欲しかったからだ。
帰り道はオーバーサイズのズボンを引きずりながら一杯ひっかけて帰った。
その時にデモCDを渡したYASさんがその後にライブオファーと客演オファーまでくれた。
YASさんに仙台のラッパー・オーガナイザーをたくさん紹介していただき、仙台でのライブもじょじょに増えていった。
そして、ここから本格的にDMCとしての活動も開始していく。
メンバーそれぞれが福島市、いわき市、仙台市と住んでいる場所が離れているため、フルメンバーでのライブはなかなか難しいが、可能な限り出れるメンバーだけでライブに出ていく活動方針となり、代表曲となる楽曲の制作も同時に開始した。
トラックはDSさんとショウゴ君が作れたので取りあえず2人に任せた。
数日後、夜中に突然DSさんが社宅にトラックを焼いたCDを持って現れた。
福島市から仙台市まで車で来たのだ。
DSさん
「すげぇ良い感じのトラック出来たから聴いて欲しくて!」
この当時、僕も含めデータをパソコンを通じメールでやり取りする方法を知らなかったので、トラック等は全てCDに焼いて郵送か直接届ける方法をとっていた。
トラックをDSさんの車のカーステレオで聴きながら夜中の仙台市内をドライブした。
DSさん
「狐火はこんな都会に住んでんのすげぇな!」
僕
「ちなみに、DSさんは鈴木あみの楽曲で何が好きですか?」
DSさん
「俺はwhite keyだね!狐火は?」
僕
「僕はlove the islandですね!というか、このトラックめちゃくちゃ良いじゃないですか!これで代表曲作りましょう!」
DSさん
「マジで!良かった!夜中に仙台まで来たかいがあった!」
そのトラックで『DMC』という代表曲を作った。
MC5人のマイクリレーを軸とした楽曲だ。
レコーディングは福島市のDSさんの自宅のレコーディングブースで行われた。
みんなですごい曲が出来たと盛り上がり、ライブで披露するため練習して、これなら絶対にどこでも通用すると励まし合った。