何もない所から30

あの日の小名浜はターニングポイントだった。

いつもの様に仙台いわき間を往復しながらライブをしていると、鬼さんから連絡が来た。

「家に遊びに来いよ」

 

僕はショウゴ君とミツヤマ君を誘い、オーバーサイズ過ぎる服を着て行った。

 

秋刀魚のつみれ鍋を食べながら芋焼酎。

 

鬼さんの話はどれも魅力的で面白かった。

後々出会う事になる郡山のKEIというラッパーの事や東京で活動する福島出身のイベントクルー『綱渡りスクランブル』の話もこの日に初めて聞いたと思う。

東京にはもしかしたら鬼さんレベルのラッパーが山ほどいるのかと思うとワクワクする反面、その中でずっとラップを続ける事がいかに難しいかを痛感させられた。

年を重ねる毎に残るのは本当に一握りなんだと。

ただ、それは全国どこにいてもきっと同じで、東京へ行った方がたくさんの刺激の中で良くも悪くも結果がすぐ分かる様なそんな気がした。

実家の田舎町では間違いなく何も出来ずにただ年を重ねていくだけだと思った。

仙台ならまだ良いが、出来れば日本で一番夢を持った人が集まる場所で勝負してみたい。

その日は朝まで鬼さんの家で鍋を囲み色々な話をした。

小名浜港に昇る朝日がとても気持ち良かった。

 

その中で、鬼さんが『福島出身の漢字のMCネームのラッパーを集めて鬼一家というクルーを作って東京で勝負したい』と言っていた。

 

僕は後日、MCネームをwest-waxから狐火に改名した。

古くから実家の裏山にまつわる妖怪の名前を由来している。

 

2005年、23才になったばかりの冬だった。

 

全てがうまくいくと思っていた。

夢は【CDの全国流通】と【B-BOY PARKでのライブ】を掲げた。



つづく