何もない所から23

東京で内勤営業研修が始まった。

上野にほど近い場所の社宅に住みここから1カ月間池袋の本社で内勤営業の研修に入る。

 

簡単に言えばコールセンターから営業の電話をかけて商品を売るお仕事だ。

毎日ノルマがあり、上司の怒号が響く、1日中ずっと電話をしていた。

初めて契約が取れた時はそれはそれは嬉しかったが、契約が取れずノルマが達成出来ない日はけちょんけちょんに怒鳴られた。


だんだんコールセンターの天井が低くなっていく様な悪夢を見てうなされて起きると朝みたいな日々が続いた。


『おはようございます!』の『はようございま』の部分を言う時間があったら契約を取れということで、朝の挨拶は誰に対しても『おす!』で良いという謎のルールがあった。

何を言っているのか分からないかもしれないが社会ってそういうものだと思っていた。

 

ノースカント

「昨日、大学の同級生に電話して知ったけど、こんなに辛い仕事って俺達だけらしいぜ?」

 

「まぁ、同級生のみんなはそもそも職種が技術職とかだしね」

 

ノースカント

「もっとしっかり就職活動しておけば良かったなぁ」

 

内心気付いてはいた。
この会社もしかしてブラック企業なんじゃないかって。

ただ新卒で他の会社を知らない僕らにはここが全てだった。

『ここでうまく出来ない奴は転職しても先はない』と上司が言っていた。

もう後戻りは出来ないのだ。

 

日に日に新卒の数が減っていく。

それも退職願とかではなく、ある日突然会社に来なくなり連絡が取れなくなる。

社宅に行っても荷物が無くなっているらしい。

その現象を上司達は『飛ぶ』と言っていた。

それでも研修が終わり勤務地である宮城県仙台市に行けば何か変わると思っていた。
こんなに辛いのは東京研修だけだと。

仕事帰りにノースカントと池袋駅前の松屋でビビン丼をほぼ毎日食べてから帰宅。

 

心のどこかに【こんな状況で音楽をするのは無理だ】という向き合いたくない現実が色を増したのもこの頃からだった。

 

翌日も仕事帰りにノースカントと松屋へ行った。
ただ一点を見つめビビン丼の玉子を崩しながら、お互い口数は減っていった。

口数が減った分、吹き出物や口内炎は増えていった。

 

もう受話器を見るのも電話のコールの音も嫌になっていた。

お客様にも怒られ、電話をガチャ切りされ、上司にも怒られ、もうプライドなんて形を失っていた。

それでも、もう少しでゴールデンウイーク。
ゴールデンウイークには社会人初ライブがあるし、それが終われば宮城県仙台市に勤務地が変わる。
きっと今よりは良くなるはずだ。
そう願っていた。


つづき