無事に25才の内にアルバムはリリース出来たが大きな課題が残っていた。
次にリリースするアルバムは全国流通に乗せたいという事だ。
この時期にちょうど音楽レーベル『術ノ穴』を主宰しているFragmentさんや『LOW HIGH WHO?』のParanelさんにも出会った。
2レーベルともまだ駆け出したばかりだった。
特にFragmentのお2人とは毎日のように一緒にお酒を飲んでいた。
だが、僕に『術ノ穴』へのお誘いは一度も無かった。
やはり待っていても仕方がなかったので、直接CDを流通させている会社に話を聞きに行ってみた。
そこで担当者に色々と相談をしたところ、自分でレーベルを作ってしまった方が早いと言われた。
僕は一度、話を持ち帰り考える事にした。
帰り道でふと思い出した。
「一緒にレーベル作りませんか?」
一度、ミルクティー君の話を聞いてみる事にした。
「狐火くん!合コンで使えるキレイめの居酒屋を予約しました!」
と言われ、指定された場所に行ったら土間土間という居酒屋でした。
それ以外は何を話したかあまり覚えていないけれど、何かミルクティー君は音楽業界に少し詳しいみたいな感じだったと思う。
そして、この日、僕はレーベルを立ち上げた。
レーベル名はファーストアルバムのタイトルから取って『Butterfly Under Flaps.』とした。
もう1人いた。
どうしてもレーベルに入れて欲しいというのでしぶしぶレーベルに入れてあげたのがナカジマシゲタカ君だ。
なんと、この数年後にあの有名な『エコい男』のモデルに彼はなった。
この当時は建築とかを学ぶ大学院生だったと思う。
居酒屋とかのトイレで良くドアを閉めずに用を足すくせがあってそれを見た外国人から「ケツダシ、サムライ」と呼ばれていた。
今でも信じられない。
取りあえずこの3人でレーベルを始めてみる事にした。
ミルクティー君がマネージメントや営業やイベント企画、ナカジマシゲタカ君はデザイン全般。
流通会社とも直接契約を結び、僕はここからセカンドアルバムの制作に入った。