その男の名前はmilktea 2nd(以下、ミルクティー君)。
彼は僕にこう言った。
「一緒にレーベル作りませんか?」
すぐに返事をせずに保留にした。
胡散臭かったというのもあるが、この時、僕はファーストアルバムリリースに向けて楽曲制作が大詰めを迎えていたからだ。
どうしても25才の内にアルバムをリリースしたかった。
あと半年しかタイムリミットがなかった。
なぜ25才かというと昔先輩が「25才までに何か1つの形としてアルバムをリリース出来なかったらもう辞めた方が良い」と言っていた言葉がずっと心に残っていたからだ。
それにこの時はレーベルなんて知識やノウハウも何も無い自分には出来ないと思っていた。
誰かが主催するレーベルに所属してそこから全国流通でアルバムをリリースしようと思っていた。
SNSで繋がったトラックメイカーの方々の協力とそして偶然夜中にmyspaceで発見したレイト君を客演に迎え、いよいよアルバム用の楽曲が全部揃った。
後はCDにプレスして全国に流通させるだけだった。
でも、ここからどうすれば。
取りあえず手当たり次第に国内音楽レーベルにデモCDを送ったりしてみたが、どこからも返事が来ない。
このままではせっかくアルバムの曲はあるのに流通出来ない。
毎日レーベルからの返事も待つが、どこからも返事が来ない。来ない。
もしレーベルに所属したらCDのプレスもレーベルがやってくれるものだと思っていたが、タイムリミットの兼ね合いでCDのプレスは自分で業者に頼んでみる事にした。
それにしても手探りで無知だった。
プレスした完成品が手元に届いた時に驚いた。
だって、なぜかDVDケースだったんだもの。
ジャケットデザインをテンプレートに合わせている時にうすうす気付いてはいた。
やたら細長いなと。
でも、やはりこうして形になると嬉しい。
取りあえずライブで手売りする事にした。
レーベルの返事を待っていても仕方ないし、何より手元に届いたアルバムを早く世の中に出したかった。
そんなある日、ディスクユニオンさんから店頭にアルバムを置いてくれるという連絡を頂いた。
店頭にアルバムが並ぶ日に僕は池袋のディスクユニオンに行ってみた。
試聴機に入っていた。
僕は嬉しくて何度も何度も試聴した。
19才の時にカセットテープで初めて音源を作って、頭を下げてお願いして友達に無理矢理聴いてもらったり、時にはタワーレコードの新譜コーナーに勝手にデモテープを並べた事もあった。
あの頃から6年、目の前に値札の付いた僕の音源があった。
レーベルにも所属出来ずに全国流通では無かったけれど、これは十分それに値した。
何とでも出来るそんな気がした。
そして、DVDケースはやたら目立っていた。
初めてのアルバムリリースパーティ。
お世話になっているイベント『シンドラーズ』が僕のリリースパーティーを開いてくれた。
照れくさかったけれど、皆にお祝いしてもらって嬉しかった。
何度でも味わいたいと思った。
ここから息を絶やす事なくアルバムをリリースして行こうと思った。
こんなに嬉しい事を自分で作り出せるのだから。
これが2008年の秋だった。
年の初めにたった1人で勇気を出して「僕に5分だけ時間をください」と言った日から1年経たずして気付けば笑いながら乾杯出来るたくさんの人達に囲まれていた。
今でも信じられない。