こうして完成したアルバムタイトルは『32才のリアル』。
このアルバムには八重樫さんの再起を願って制作した楽曲が収録されていた事もあり、ジャケットには八重樫さんに出演してもらった。
その撮影やアルバム内のトラックをクラスメイトに手伝ってもらったりと、今の環境でしか作れない最高のものを作った。
八重樫さんのラッパー感が凄過ぎて、どうしてもラッパーとDJみたいな構図になってしまう。
やはり、学生という事もあり時間がたくさんあった。
『32才のリアル』をリリースする前に次のアルバム制作に取り掛かった。
年明け2016年3月にリリースを設定した11枚目のアルバムタイトルは『東京million』だ。
このくらいの時期から流通会社やプロダクション、レコード会社の方から「誰か良いアーティストいませんか?」と聞かれたりする様になった。
そういう時はだいたい僕は梅酢君を紹介している。
大きなフェスへの出演こそ無いものの、ライブも定期的に行い、このペースでアルバムもリリースして行けば全てうまく行くそんな気がしていた。
12月になり、『32才のリアル』をリリースする頃には学校のクラスメイトはみんな就職活動を始めていた。
僕も、とにかく学校で学んだ事の実務経験が欲しかったので就職活動をみんなと一緒にした。
薄々、気付いてはいたが33才で未経験の職種だと書類選考で落とされてしまう。
何か方法を考えなければ。
でも、まだ卒業まで3ヶ月くらいあるから、焦らずに行こうなんてこの時は思っていた。
何とかなるのではないかと。
卒業制作でクラフトビールのサイトを作る事になり、帰宅すると色々なクラフトビールの写真を撮ったり飲んだりしていた。
そして、年が明けて数日後、お付き合いしていた彼女に別れを告げられた。