何もない所から武器を作る方法48

チケットがソールドアウトした満員の渋谷WWWのフロアを眺めて思った。

 

なんで、この眺めを生きているワンダーボーイに見せてあげられなかったのだろうか。

 

悔しさがこみ上げて来た。

 

死んでからの評価なんて、一体、誰が望んでいるのだろうか。

 

きっと、思い出してもらえるだけで、本人は嬉しいのではないか。

 

最前列に居たお客さんが僕の方をこういう目で見ていた。

 

(あっこの人、上映直前でライブするという事はドキュメンタリームービーにさぞかし出演されている方なんだろうな。)

 

 

違う。

 

僕の事を知っている方が僕の方をこういう目で見ていた。

 

(あっ狐火さんだ。ドキュメンタリームービーにさぞかし出演されている方なんだろうな。)

 

 

違う。

 

プレッシャーに耐えかねて、僕は自分が2秒しかドキュメンタリームービーに出ていない事を打ち明けた。

 

お客さんから特に何も反応は無かった。

 

それはそうだ。

だって、僕のドキュメンタリームービーじゃないし。

仮に僕のドキュメンタリームービーで僕の出演2秒だったら逆に見てみたい。

 

開き直った。

 

僕はこの日のライブで、恐らく死後にワンダーボーイを知ったであろうたくさんのお客さんにドキュメンタリームービーでは伝えられなかった事を伝えた。

 

僕は昔も今もワンダーボーイの曲とかがヤバいなんて思った事はないけれど、唯一、お互いが生きていた日常で出会えた事だけはヤバいとは思える。

 

でも、それは今日まで出会った誰に対してもそう思える。

 

 

この日のライブは後日DVDの特典映像に収録された。

 

もしかしたら、この流れを組んでのあえてのドキュメンタリームービー僕の出演時間2秒だったのかもしれないとすら思った。

生きている僕は映像じゃなくてライブで見て欲しいという製作者側の意向だったのかもしれない。

 

なんで2秒だよ!なんて思ってすみませんでした。

 

生きている僕にはあの日の2秒のための撮影の5時間や今日のライブの30分。

贅沢な時間がまだ生きている限りは少なくも永遠だと思える程の有限がある。

 

『ライブで生きろ』と、そう言われている様な気がした。

 

そんな一夜だった。