東日本大震災のあった2011年。その10月。
岩手県に初めて世界チャンピオンのベルトを持って帰ったプロボクサーがいた。
八重樫東さん(以下、八重樫さん)だ。
同じ東北出身にすごい人がいると思った。
しかも、同い年だった。
きっと、この時、本当にたくさんの方々が勇気付けられたと思う。
それから僕は八重樫さんの試合をチェックする様になった。
そして、この年(2014年)の9月、ローマン・ゴンザレスとのタイトルマッチで敗れはしたものの今でもこの試合を見ると涙が出る。
特に9ラウンド目、僕自身がとても力を貰った。
元気のない時やライブの前にもこの9ラウンド目を良く見て自分を奮い立たせている。
僕はボクサーではないけれど。
音楽でも何にしてもそうだと思う。
何かが伝わる、そういうものにジャンルは関係ないと思う。
【称賛の嵐】最強挑戦者ロマゴンに敗れた八重樫東選手の生き様と戦いっぷりが感動ものだった - NAVER まとめ
この試合後、しばらく休むのかと思いきや、わずか3ヵ月後に3階級制覇を賭けたタイトルマッチをやるというニュースを見て驚いた。
一体、どこからそんな力が湧いて来るのだろうと。
本当にすごいなぁと思った。
そして、試合を数日後に控えたある日、ラジオで八重樫さんが僕の『媚とHIPHOPの間で』という曲を紹介してくれていた。
思わず、飲んでいたコーヒーを吹き出すほど驚いた。
なんであんなに強い人が、一体どのタイミングで僕の曲を聴くのだろうか。
ヒップホップを聴くにしても八重樫さんの入場曲は僕とは対照的なAK-69氏の曲だし。
あのローマン・ゴンザレスに打たれても諦めずに打ち返していた人が僕の曲を聴いている。
取りあえず、母親に報告した。
そして、年末実家で家族と一緒に八重樫さんのタイトルマッチを観戦した。
試合は負けてしまった。
僕はテレビの画面越しに、自分自身を重ねていた。
僕はこの年末でまた仕事を辞めていた。
WEB業界に興味を待ち始め、年明け4月から1年間学校に通いながらWEBの勉強をすると決めていたからだ。
さらっと書いたけれど、相当不安な挑戦だった。
何も確信など無かった。
これでいいのか。自問自答を繰り返しながらの年末だった。
31才で学生。これでいいのかと。
失礼かもしれないけれど、そんな自分自身を重ねていた。
自分の事の様に悔しかった。
年が明け、僕は八重樫さんに会うために横浜へ向かった。