何もない所から武器を作る方法25

この夏、サマソニがくれたもの。

 

一緒にSUMMER SONICに出たアーティストの皆とは今も続く交流があったり、イープラス橋本社長とはアルバムをリリースする度に今も飲みに行っている。

今に続く出会いがたくさんあった。

数えればきりがないくらい色々なものを得た。

 

その中でも僕が一番嬉しかった事がある。

 

それは、ずっと僕の音楽活動に反対していた実家の家族がこの日を境に応援してくれるようになった事だ。

 

別にもう良い歳だし、今更どうでも良いと思っていた。

反対されようが続けるかどうかは自分で決めるし、もう子供ではないと。

でも、やっぱり家族が応援してくれるのは嬉しかった。

 

以前は実家に帰る度に「もういい加減、音楽は辞めろ」だとか「いつまで続ける気だ」とか一方的に説教されるから僕はまず家族に音楽の話はしなかった。

肩身は狭かった。

特に父親とは、就職した会社を辞めて東京で音楽活動を始めた時から確執があった。

SUMMER SONICに出たからといって父親だけは変わらないと思っていた。

そもそもSUMMER SONICに出る事は母親にしか伝えていないし、母親も父親に僕の音楽の話をすると怒られるから黙っていたはずだ。

不思議だった。

 

 

数年経ったある日、実家の庭でバーベキューをしていた時の何気ない会話。

 

「僕のライブっていつも雨が降るんだよね」

 

父親

「あぁ、サマソニの時もお前の時だけ雨降ってたな」

 

 

確かに、あの日、僕の出番の時に雨は降った。

でも、その雨は一瞬の通り雨で現場にいた人にしかわからないはずだ。

なぜ、父親がそれを知っているのか。

 

後ほどこっそり母親に聞いてみた。

すると、あの日、父親は朝早くバイクでどこかに出かけたと。

そして夜に日焼けして帰って来たと言っていた。

 

昔から父親は部活の試合の時も遠くから僕に見つからないように隠れて眺めていた。

 

今なら少しはわかる。

もし自分の息子が仕事を辞めてどうなるかわからない音楽に賭けるのであれば、僕も止めると思う。

でも、10年音楽を続けて何か目に見える結果を出した時には応援すると思う。

 

それは、父親も薄々はわかっていたと思う。

本当はずっと前から応援してくれていたのかもしれない。

キッカケをずっと待っていたのかもしれない。

嫌な事をたくさん言いながら、それでも続ける事が出来るのか試していたのかもしれない。

僕よりも父親の方が本当は辛く苦しかったのかもしれない。

それを教える事、そこまで見届ける事が親の最後の役目なのかもしれない。

 

人生が大きく変わった。

 

 

 

つづく