この年の11月に5枚目となるアルバム『PRAY FOR FINAL』のリリースを予定していた。
このアルバムは東日本大震災に関連した曲のみで構成されたアルバムだ。
そして、このアルバムで初めて観音クリエイション(以下、観音さん)と曲を作った。
この時期の僕は寝ても覚めてもリリックを描いていてそのスピードに観音さんはついて来てくれた。
当時は確かシンガポールにいて、トラックの制作スピードがあまりにも早いのでAI(人工知能)か何かだと思ってた。
このアルバムは時期的に世間が過敏であったり、内容が過激だったりして、流通会社からはもしもの場合自主回収の覚悟をするようにと言われた。
ただ最善を尽くしてくれた流通会社の皆さんには本当に感謝をしている。
そして、このアルバムを店頭に並べてくれた全国のレコードショップの皆さんに感謝しています。
2011年を振り返ると本当に色々な事があり過ぎた。
自分から切り出したものもあるけれど、別れが多かった。
年が明けた2012年の5月に全曲レイト君をフィーチャリングした6枚目のアルバム『世界の果て』をリリースした。
この頃になると自分の1作品単位のアルバム売り上げ枚数では到底かなわない日本中のアーティストと対等に渡り歩く為の手段として『高回転の継続』を意識する様になった。
それは、5年に1作品のアルバムリリースペースでも確実に1万枚は売れるアーティストに対し、僕は5年で10作品をリリースして総合売り上げ枚数で対抗するという手段である。
これにより売り上げ面では常に『負けた気がしない』と思える様になった。
当時まだ15歳だったdaokoちゃんに出会ったのもこの頃だった。
アルバム制作中という事で僕は『15才のリアル』というアルバムタイトルを提案したが採用されなかった。